ランツェナーヴェ事変が片付き、領主会議にて未成年のアウブとしてローゼマインは承認された。それに伴いアーレンスバッハの地は、新生アレキサンドリアとして歩みを始めた。
 領都が新しく作り変えられ、旧アーレンスバッハの役職は刷新された。

 平民の住む下町と貴族街の境目に神殿が置かれ、神殿長としてアウブが就任したことにより、神殿は貴族が訪れることが推奨される場所になった。
 アウブの側近や領主候補生のレティーツィアが神殿での役職を努めるようになり、急速な意識改革が行われている。
 その中でもランツェナーヴェ事変が片付く前に、城に勤める者たちが早々にローゼマインへの忠誠を示すようになったのは、長年その土地で生きてきたシュトラールには驚きであった。
 あの混乱の最中、未だ若きアウブの筆頭文官であるハルトムートは、城内の者たちを掌握してしまったのだ。フェルディナンドが積み上げた下地があったとしても、その手腕は認めざるを得ない。
 フェルディナンドが用意した選別の盾を抜けた者達から、適任と思われる者たちが重要な地位についていく。その中で、いつまで経っても任命されなかった地位がある。
 日々、めまぐるしくもたらされる新情報の整理に追われ、事務方とやっと一息つけると思われた日にシュトラールは呼び出しを受けた。
 アウブの執務室の前まで来たシュトラールは、扉を開けようとする騎士を一旦止めて、深く息を吐いた。
 アウブであるローゼマインから話される内容は概ね予想は付いているが、彼らの護衛騎士がそれを受け入れられるかは別の話である。
 フェルディナンドの用意した選別の盾を潜り抜けた証として、背中に大きくバツを描かれたマントをひと撫でして、騎士へと頷いた。
 騎士が中へと声をかけて扉を開け足を進めると、部屋の中はエーレンフェストの側近だけだった。すぐさま長椅子へ揃って座るローゼマインとフェルディナンドの前へとシュトラールは跪いた。

「シュトラール、お呼びにより罷り越しました」
「ご苦労様。どうぞお座りになって」
「はっ」

 ローゼマインの言葉に従い、シュトラールはすぐさま対面に用意された椅子へと座る。

「シュトラールも忙しいでしょうから、要件だけ述べますね。騎士団長を引き受けて頂きたいのです」
「騎士団長はアウブの筆頭護衛騎士が努めるのが慣例です」
「もちろん知っております。でもコルネリウスには無理でしょう?」

 ローゼマインがはっきりと言葉にすると、文官であるハルトムートとクラリッサは頷き、側仕えは戸惑いを見せる。
 名を捧げた騎士たちは、ローゼマインの言葉に従うことが本望であり異を唱えようとすら思っていない。
 言葉をかけられたシュトラールは、否とも然りとも言えずに口ごもる。その沈黙を破る者がいた。

「ローゼマイン様は、シュトラールを信用していらっしゃるのですか?」

 壁際に立つレオノーレが口を挟んだ。フェルディナンドの眉がピクリと動く気配を感じて、ローゼマインはすかさずフェルディナンドの腿を軽く叩いた。

「わたくしは、シュトラールを信用しているから騎士団長を任せるわけではありません。必要だから任せるのです」
「騎士団長はアウブの剣であり盾です。信用していない者に任せるなどあってはならないことです。エーレンフェストの者であり、兄君であるエックハルト様にお任せするべきではありませんか?」
「エックハルトはわたくしの命令を聞きません。アウブに従う気のない者を組織の長にするわけにはまいりません。レオノーレにも理解できるように質問をしてあげましょう」

 ローゼマインはそう言って、ハルトムートにメモを取るように視線で促した。

「季節の『主』はどの地に出現しますか? また種類は? 討伐までの必要人数に日数は? 直轄地ではなくギーベ領での討伐となった場合、指令系統の優先順位は? 素材の分配方法は? 全ギーベ騎士団の人員数は? ギーベ騎士団との連携方法は? 答えてください、コルネリウス」

 ローゼマインは騎士団長として当然の知識を、コルネリスへと投げかけた。騎士団長を任せられないと言われ、拳を握って不甲斐なさを堪えていたコルネリウスは、突然の声かけに戸惑い、隣のレオノーレを見てからローゼマインへと謝罪した。

「申し訳ありません。私には知識がありません」
「レオノーレは、答えられますか?」
「……いいえ」
「シュトラール、答えてください」

 ローゼマインはそのままハルトムートを見ると、彼は頷いた後、記録紙をしっかり握りシュトラールへと視線を移した。

「通常アーレンスバッハの主は、夏の終わりから秋の初めの頃に出現します。ここ数年は、中型でベルケシュトック方面が主でした。今年はアウブのお力で領地全域が満たされておりますので、正直どこで何が出現するのかは未知数です。現在、全ギーベ騎士団へ魔獣の推移を確認するように通達を出してあります。
 また、ギーベ騎士団からアウブ騎士団への移動要請も多く、総数のみが確認できております。討伐交渉に関してはギーベと新たな条件締結を結ぶことを進言致します。討伐共闘時においては、指揮系統はアウブ騎士団が優先されます」
「ありがとう、シュトラール。これでも納得できませんか? レオノーレ」
「……出過ぎたことを申しました」

 レオノーレからの謝罪を受け取ったローゼマインは、隣に座るフェルディナンドから指摘を受けた。

「ローゼマイン、側近たちだけとはいえシュトラールを信用していないと言い切るのは良くない。揚げ足を取られたらどうするのだ?」
「どうもしません。わたくしの信用が欲しければ、これから相応の働きをすればいいのです。わたくしは職務に忠実な者は、階級派閥問わず歓迎しますよ、誰でもね」
「君のその考えは大雑把すぎると昔から言っているだろう」
「アレキサンドリアは新しいわたくしの領地ですから、わたくしの好きにします。それにシュトラールには、今更わたくしの信など必要ないと思いますけどね」

 ローゼマインは肩をすくめてそう言いきった。フェルディナンドはもの言いたげに片側の眉を上げた。ハルトムートでさえも、不思議そうな顔をした。

「全幅とまではいかないでしょうが、シュトラールはフェルディナンド様から『信』を与っているのですよ。わたくしがシュトラールを信ずるには、それだけで十分な理由ではありませんか」

 ローゼマインの言葉に、皆の視線が一斉にフェルディナンドへと移った。フェルディナンドは不機嫌な顔をして、ローゼマインへと言葉をかける。

「では、アウブとして任命してしまいなさい」
「はーい。シュトラール、あなたを騎士団長へ任命します」
「はっ、不肖シュトラール、アレキサンドリア騎士団長を拝命いたします。以後、アウブの剣となり盾となり、アウブより信を預けて頂けるよう精進いたします」
「よろしくお願いしますね」

 シュトラールの大人の対応力で、部屋を満たしかけた生暖かく甘ったるい空気は霧散した。当の本人は自分がどれだけの惚気を発したのか、気が付いてはいなかったが……。